覆された製鉄の起源(3)~(5)

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関根鋼管株式会社

覆された製鉄の起源(3)

2.表のNo.1 No.2 の分析:ヒッタイト以前の地層から出土した鉄片

 表中の No.1 の調査に関しては、「岩手県立博物館だより」No.106(2006年9月)で、分析にあたられた赤沼英男・上席専門学芸員(文化財科学)の報告を直接読むことができます。このときの<歴史の書き変え>は、第Ⅲ層の最下層で起きました。

図2 図2を見ればわかるように、第Ⅲ層は、上から順にa層、b層、c層に下位区分されるのですが、最下層のc層はアッシリア人の商人が居住して活躍した「アッシリア植民地時代」と呼ばれ、ヒッタイト人が国を築く前の時代です。このことは、従来の説に反して、ヒッタイト帝国がゼロから鉄作りを始めたのではないことを意味します。

では、この地に居住して商取引を行なっていたアッシリア人が製鉄の生みの親なのでしょうか。そう考えたくなりますが、この時点ではまだ結論を出すことはできませんでした。

 このとき分析に用いられた鉄片の写真が、赤沼英男氏によって、上記論文に紹介されています(図3a, b)。この錆の塊が、実は、炭素含有量約0.1~0.3%の「はがね」だったのです。2005年5月の時点では、これが「世界最古の《はがね》」です。   

 図3c は、表中に No.2 として示した、キュルテペ遺跡出土の鉄片です。この魚の形をした錆びた鉄片が、隕鉄ではなく人工鉄だと判明したことから、<ヒッタイト帝国が成立する400年以上も前に人為的に鉄が造られ、鋼の製造までもがなされていた可能性が高い>と、氏は考えるのです。

図3

  

 まだまだ資料は乏しい。しかし、その乏しい資料は、確かに、鉄の歴史の1ページを書き変えました。<ヒッタイト帝国が鉄生産に果たした役割が製鉄技術のゼロからの開発ではなく、既に認識されていた鉄の生産方法を改良し、強靭な鋼を一定量確保するための生産システムを新たに確立したことにあった可能性が高い、という重要な問題>が提起されたのです。赤沼氏は期待します、発掘が続けば、<アッシリア商人、ヒッタイト、およびヒッタイト帝国が成立する以前の原住民の関係に注視しつつ……ベールに包まれた紀元前2千年紀における鉄文化普及の変遷を明確にすることができるにちがいない>と。

 期待は裏切られませんでした。チャンスは3年後にめぐってきます。


●図3の本物の写真と報告文⇒ 赤沼英男「最古の鋼片の検出とその意味―ヒッタイト帝国が鉄生産に果たした役割の再検討」(「岩手県立博物館だより」No.106、2006年9月)

http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/tayori/106p2.pdf

覆された製鉄の起源(4)

  

3.のNo.3 とNo.5の分析:「最古の《はがね》」と「最古の《鉄器》」

 2005年の時点で、問題点は二つあったことがわかります。
●鉄が、普通の鉄なのか、「はがね」なのか。
●鉄が、人工鉄なのか、隕鉄なのか。

図5   最初に進展を見たのは前者の問題でした。2008年4月20日、日本の新聞が次のような記事を配信しました。これが、表のNo.3です。

  ○紀元前22世紀、世界最古の鋼 トルコの遺跡から出土
 トルコのカマン・カレホユック遺跡で出土した鉄片が、紀元前22世紀ごろの鋼であることがわかった。鉄製品としては世界で最古。「鉄の生産技術が、現在のトルコにあたるアナトリア半島で独自に生まれた可能性が高まった」と関係者は話している。

   鉄片は長さ約2~6センチで、うち1点は鋼。出土した粘土板文書や炭化物の放射性炭素年代などから、現地にメソポタミアのアッシリア商人が植民地を築いたり、鉄の帝国として知られるヒッタイトが建国されたりするより前の、紀元前 22~20世紀のものと考えられている。(朝日新聞、宮代栄一)

 分析された鉄片は3片。2001~2002年に見つかったものです。そのうちのひとつが「はがね」で、あとの2点は、鉄の原料である赤鉄鉱と、焼けてガラス化した粘土――これは鉄生産の際に使われた炉の一部と考えられます――の中にごく小さな鉄が固着したものと分かりました。
 そのとき新聞が配信した「世界最古の《はがね》」が、図4(朝日新聞電子版より)です。こんな小さな鉄片が、世界史の常識を覆したのです。
図4

 ところが、この記事から約1年後、例の愛媛大学でのシンポジウムから半年もたたない2009年3月26日、今度は「世界最古の鉄器、トルコで発見」の記事が掲載されます。これが、冒頭の表のNo.5です。

●図4の本物の写真と記事⇒「紀元前22世紀、世界最古の鋼 トルコの遺跡から出土」朝日新聞(2008年04月20日)

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804190201.html

覆された製鉄の起源(5)

 2009年3月26日、朝日新聞の報道です。

 ○【国際】世界最古の鉄器、トルコで発見 ヒッタイト起源説覆し、世界史の通説が書きかえられる日本の中近東文化センターが発見
 中近東文化センター(東京都三鷹市)が調査を続けているトルコのカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100~同1950年の地層から、小刀の一部と見られる鉄器1点が発見された。鉄滓(てっさい)(鉄を生産・加工する時に出る かす)と、鉄分を含んだ石も確認され、鉄づくりが行われていたことが確実になった。
 人工の鉄の利用は紀元前15世紀ごろに同じアナトリア半島のヒッタイト帝国で始まったとされてきた世界史の通説が書きかえられる。
 鉄器は2000年の調査で出土したもの。折れていて、つなぐと長さ5センチほど。さびがひどいが、切断して断面をX線で調べると、鋭い元の形が見えた。片側だけに刃がある小刀の一部と見られる。鉄滓は1個で直径2センチほど。原料と考えられる鉄を含んだ石は2個確認された。……
 赤沼さんは「原料も含め加工段階の違う鉄が同じ地層から発見されたことで、この遺跡で鉄の加工が行われたことに疑いの余地がなくなった」という。                                                               (朝日新聞、渡辺延志)

 ところがここで、情報の混乱が起こりました。朝日新聞のこの報道は、人間の手によって作られた「最古の《鉄器》」と言っていますが、《はがね》だとは言っていません。しかるに他の諸新聞では、この小刀ははっきり《はがね》と呼ばれているのです。たとえば、3月27日中日新聞夕刊の記事がそうです。

 ○「世界最古の鋼」判明 中近東文化センター(東京)が調査しているトルコのカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100~同1950年の地層から小刀の一部とみられる鉄器が出土し、岩手県立博物館の分析の結果「世界最古の鋼」であることが分かった。同センターが 1994年に同遺跡で発見し、これまで最古とみられていた鋼(紀元前20―18世紀)を約200年さかのぼることになる。同じ地層から鉄滓(てっさい)(鉄の製造時に出るかす)や鉄分を含む石も見つかり、同遺跡周辺で製造された可能性が高まった。

 《鉄器》とのみ記すのは朝日新聞と時事通信社です。前者は3月26日午前3時1分、後者はその約10時間後の13時12分に、記事を配信しました。ところが、同じ13時12分に記事を掲載した共同通信社は、この10時間の時差の間に情報を修正して「最古の《鋼》」と明記し、この配信を受けた各新聞社――たとえば四国新聞、山陽新聞、熊本日日新聞、山形新聞、産経新聞ZAKZAK等――はすべて《はがね》説を採っています。

 冒頭の表ではNo.5となるこの錆びた小刀が、最古の鉄なのは間違いないとして、それが果たして《良質の鉄》(はがね)なのか、それとも単なる《炉の鉄》(普通の鉄)なのか。これらの報道を見る限りは《はがね》であると考えたほうが妥当なのですが、それにしても、なぜ、このような情報の混乱が起こったのでしょうか。《はがね》と鉄滓(てっさい)が出土したとはいっても、そのことがすぐに「《はがね》を意図的・恒常的に生産していた」ことにはならないと考え、報告者が控えめな言い方をしたのでしょうか。それとも単に、「世界最古の《鉄器》」というのが「世界最古の《はがね》製品」であると言いたかった報告者の意思が、朝日新聞の記者にきちんと理解されなかっただけなのでしょうか。 分析担当者の赤沼英男氏は、2009年3月29日、アナトリア考古学研究所第19回トルコ調査研究会で、カマン・カレホユック遺跡第IV層文化期における鉄器使用についての報告を行なっていますが、それが報告書として活字化されば、No.5の小刀が「世界最古の《はがね》」であることが学術的事実として明確にされるでしょう。

 更に、「世界最古の《はがね》」の記事には別の問題があります。<これまで最古とみられていた鋼(紀元前20―18世紀)を約200年さかのぼる>と言っていますが、年代から判断するに、これは、冒頭の表のNo.1のことだと思われます。つまり、No.3の2008年の発見が見落とされているのです。No.3No.1の1年前に出土しており、その年代は、<現地にメソポタミアのアッシリア商人が植民地を築いたり、鉄の帝国として知られるヒッタイトが建国されたりするより前の、紀元前 22~20世紀のもの>(朝日新聞電子版2008年04月20日)、すなわち紀元前2100~同1900年代なので、No.5の小刀は、これと同年代の人口鉄ということになります。

 このNo.5の発見は、「No.3と相俟って、鉄の起源がヒッタイト以前にある可能性を更に強めた」と書かれるべきものだったのです。結局、2009年の「世界最古の《鉄器》」=「世界最古の《はがね》」をめぐる報道は、このように問題だらけになってしまったのでした。

●「世界最古の鉄剣 トルコで発見 ヒッタイト起源説覆す」(朝日新聞2009年03月26日) http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY200903250414.html

●世界最古の鋼と判明 トルコ遺跡の鉄器」(ZAKZAK 2009年03月26日)   

http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009032645_all.html

●愛媛大学古代鉄文化研究センター国際シンポジウム「鉄と帝国の歴史」

http://mutsu-nakanishi3.web.infoseek.co.jp/iron4/0812ehime00.htm

●中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所

http://www.jiaa-kaman.org/index.html

●ヒッタイトの遺跡とその出土品は、こちらからどうぞ。

http://www.mineprofs.org/info/research/SOMP-05-Research-Ancient%20Metallurg-Ozbal.pdf


ancient anatolian metallurgy

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